「歳は取りたくないね」

 大人が言うその台詞の意味がいつもよく分からなかった。小さい頃は単純に「歳を取ると死ぬからな」と思い、つまり大人が言うその台詞を「死にたくはないものだね」というものとして聞いていたのだけれども、子どもにとって歳を取るということはイコール誕生日であり、誕生日には祝ってくれるしプレゼントをくれるしおめでとうおめでとうと家族から祝福され「ありがとう」と言わなければならない言いたくない別にこんな風に祝ってくれたからって嬉しいわけじゃないんだからね前からずっと欲しかったスーファミのゲームソフトを買ってくれたからって別に嬉しかったりはしないんだからね、こっ恥ずかしい、そんなことを思いもするのだけれど、子ども扱いされることから脱するために、歳を重ねるのはとにかく麗しいことだった。自分も歳を取れば勝手に大人になるのだと思っていた。
 大学に入学したぐらいから「若いね」という言葉が侮蔑のニュアンスを帯び始める。一浪で入学した奴が寄り集まって「現役生の若いノリが合わない」とその一歳の差をやたらに強調する。二浪は更に歪んでいて自分以外の全ての大学生を呪っているか、逆にものすごくフランクで、なるべくたくさんの18歳の処女膜を貫通するために足繁くサークルに通っている。二年生は一年生の姿を見かける度に「あの若さはおれらにはもう無いね」と大人ぶる。三年四年ぐらいになるとどうでも良くなる。就活かあ働くのかあとぼやく。年長者が言う「君たちは若い、無限の可能性がある、やろうと思えば何だってできる」などというポジティブな台詞に彼の嫉妬「なんだってできるだなんてずるい」と後悔「なんだってできたはずなのに」と侮蔑「でもおまえらもおれと同じようになにもできやしないのだろう」を感じるようになる。歳は取りたくないね。