みうな

 今日4/12は吉澤さんの誕生だったらしいのですが私はそんなことなど気にせずにみうなのことについて書くのであります。でもそれだとなんか申し訳無い気がするので、よっすぃーおめでとうとだけ言っておきたい。もちろん吉澤さんは私のその心からの「おめでとう」を聞いて顔を赤らめるですが。私の目をしっかりと見つめると「私、今年で二十歳なんだ」と言うのです。私はそれがどういう意味かわからないので尋ねる「それで?」ひとみちゃんは赤らめた顔をごまかすかのように頭をバリバリバリと掻くと「ニブイなー」と言うのです。はて?私は何がニブイのだろうか。僕の財布には2年前から入れっぱなしのコンドームが一つ。
 さて、みうなみうなについて書こうと思ったのだけどどこからどうみうなについて書けばいいのか分からない。私はみうなが大好きなんです。ののたんあややのように、公に「僕はみうなが大好きだ」とは言っていないのですが、それは何故かというと「みうなが好きだ」と言っても、誰それ?という反応が返ってきて、みうなカントリー娘。でね、名前は漢字だと「美海」って書くんだ、それからね電車のガタンゴトンいう音が好きだったりね、一時期はバスにはまってたりしたこともあるんだよ、などということを一から説明していると、「あややが好き!」とか「辻ちゃんが好き!」など公言するのよりも遥かに酷い扱いを受けることになって、私はソフトMでありますから、そのような扱いを受けると感じるよりも先に泣けてきてしまってでも僕のディックは超エレクトしていたり、もうデイズドアンドコンフューズドの循環に陥り、訳もなくハートブレイカーを歌い出したりしてもみたり、でもね、僕はみうなが好きなんだよ、そんなことを言われて迫害されようともみうなが私の心の癒しであって、それはかつてはののたんに求めていたものなのだけれども、ののたんは聞き分けが良くなった。聞き分けが良くなったというか理性的になってしまった。Wのエッセイ集じゃないが、なんか出てたじゃないっすか、インタビュー集かな?ちょっと待ってください。今はまぞうで検索しておりますから。U+U=Wこれこれ。U+U=W。私はこれを買ってはいないのですが、内容をネットでちょこちょこと把握してはおりまして、そこでののたんは偉く理知的なことを言っているのです。「あいぼんが居たから私は変わった」などというような、冷静な自己分析をしておるのです。私はそれはダメだと思うのです。振り返れば、おにぎり対決において中澤裕子に「辻ちゃんのおむすびかわいい、それ食べたい」と言ったら「辻のでいいんですか?」そんな感じのののたんが好きです。いや、だからと言って今の理性的な芸能界的な思考で完全に汚れてしまったののたんが嫌というわけじゃない、ののたんののたんですから、私と結婚して、私が然るべき教育をしさえすれば、あの頃のののたんに容易に戻るであろうことは想像に難くない。
 それで、話がみうなからののたんに完全に反れてしまっているのでここでみうなに話を戻すのだけれども、みうなはそのような理性的な芸能界的な思考を身につけずに、今の状況までプリティーに育ってきているのです。手ごろな画像が無いのでその容姿の美しさは筆で表す他ないのでありますが。とにかくかわいい、という一言で、余計な修飾は抜きでみうなを表したい。ですから、貴方の頭の中で最もかわいいと思っている女の人を思い浮かべれば良いのです。それは鈴木えみでも構わないし、加藤ローサでも構わない、細木和子だけは勘弁してあげて欲しいのだが、それが私の感じるみうなであり、そして癒しなのであります。みうなは皆の心の中にいるのです。みうなの素晴らしさが少しは分かって頂けならば、これ幸いであります。つまり、みうなはこの不安定な世界情勢をそのかわいさで平和に、ピースフルにするためにつんく♂という唯一神から遣わされた、翼の折れたエンジェルであります。