乱交

 代ゼミは今乱交的状態にあると思います。僕はそういうのはとてもいけないと思うんです。プラザと校舎では全く文化が違うのです。女の子の隣に座るだけで昂ぶってくるこの新鮮な感動をいつまでも忘れてはいけないと思うんです。お尻の大きな女の子を後ろから眺めてにやにやしてパンティライン最高と言ってそれで自慰に励まなければだめだと思うんです。ストイックに生きなければダメだと思うのです。ですから、もし代ゼミで乱交パーティーが開催されたとしても、僕は当然それには出向くと思いますが、以前見た夢のように、他人が乱交に及んでいる風景を見て、手淫に励まなければならないと思うのです。あややが腰をふりふり入れてと言ってきても、いや僕は童貞だから、そういうのは違うんだ、僕はねあやや、君のお尻を見て揉みたいなとか頬ずりしたいなとかアナルの臭い嗅ぎたいなとか色々思うわけなんだけれども、それを実行に移してしまってはつまらないんだ。実行に移した途端「なんだこんなものか」ということになってしまうと思うんだ。僕はあややのアナルや尻肉をいつまでもイマージナリーなものにして、イデアのようなものとして憧れつつけなければならないんだ。それがエロースの本当の意味なんだ。届かないものを見つづける思いこそがエロースなんだ。だから実際のセックスは全然エロースではないのだ。セックスとは童貞の内に思い焦がれるそのイマージナリーな姿こそが本当なのだ。肉体目当ての付き合いなど貧困だ。セックスを実際に行ってしまうということはなんて貧困なんだ。一生童貞で、セックスのことを思い描きながら手淫に励むのが、本当に高尚な性行為というものだ。だから僕は一生童貞なんだ。死ぬ間際にあややフェラチオしてくれればそれで満足なんだ。その頃あややは一体何歳なんだろう。総入れ歯のおばあちゃんのフェラチオはえもいわれぬ快感らしいと聞いた。あややならおばあちゃんになってもきっとかわいいさ。年老いたあややの巨乳に顔を埋めて、フェラチオをしてもらう、というのは体勢的に無理なのかもしれないけど、どうせ死ぬ間際なんだからいくら背骨が折れようとも構わないのではないか。僕は乱交なんか嫌だ。あややフェラチオがいい。ののたんのふとももに頭を預けながらあややフェラチオしてもらうんだ。そしてごっちんのふとももに頭を挟まれるんだ。よっすぃーの喉仏にキスするんだ。ミキティのお尻をスパンキングするんだ。そしたられいながれいなにもなんかしてって泣くんだ。僕は何もしないんだ。れいなちゃんれいなちゃんって言ってれいなの顔に顔射するんだ。僕は顔射が嫌いなんだけど、僕はれいなが好きだから、僕顔射に対する嫌悪感とれいなへの愛情でそれはチャラになるんだ。キスキスアイスクリームアイスクリームチュパチュパアイスクリームアイスクリーム。最近ゴミ箱がザーメン臭くて困ってるんだ。僕のザメーンみんな元気。