人間とは

 人って18時間も寝続けることが出来るのだな、ということに私は感動した。18時間も寝てるとそれは睡眠というよりも、意識不明なのではないか、と思ったりもするが、私はすこぶる健康的なのであって、あっそういえば昨日はめずらしくオナニーin the UKをしなかったなと思うと、俺はもうダメかもしれん、男としてもう俺はダメかもしれんと思うのでありますが、そういえば昨日は友と二人で熱き語らいをしたのであるから、オナニーin the USAはしなかったとしてもなんら問題は無いのだということに今更ながら気付き、感激の涙に打ち震えた。
 昇り棒。それはさておき昇り棒だ。小学校時代には何の感慨も無く、ただあの昇り棒を昇り棒として、なんとなく「ああ運動器具だよな」と思って、ソレをそのように扱い、そのように概念化し、また使用して来たのであるが、いざ中学生・高校生になると、昇り棒という言葉には別の変な意味が付属してくるようになる。わからん。事実として私は上り棒を性の掛け橋として使用した覚えもなければ、またそれを性の掛け橋として使用したという卑近な例を聞いたことがない。言わないだけなのだろうか、と勘ぐって、小学校時代のアルバムを広げ、「コイツもコイツもみんな上り棒を性的引導を引き渡す道具として使用したのだろうか?」と思うにつけ、そのような同級生の痴態を想像してしまうにつけ、ああっと言って俺は果てた。果てたのか?いや、果ててはいない、ただなんとなく興奮していた。学校生活という項目にある水泳の授業の写真を見て、中学生の俺はそこでやっと果てた。
 小学校時代の同級生とは今はほとんど交流を持たない。しかし記憶の中で、それは非常にエロス。何故か分からないけれども、私の小学生時代の記憶は全てエロスに直結している。小学四年生の体育の時間、女子と男子の着替えを別々にさせられた時に感じた、なんとなく薄ぼんやりとした性に対する感心は、最大級のエロスであった。それから私は学校に到着すると、今日スカートを履いて来ている女子生徒に注意を払い、同じ班の中にそれが居れば心の中で小躍りして喜び、給食の時間などに、訳も無くスプーンを落としては、机の下でまじまじと観察/記憶し、家に帰って今日の成果としてその記憶やまざまざとした下着及び太腿の動きを脳内で再現して使用していた。私の初オナニーin the UKは思えば小学四年生であった。しかし、昇り棒はその時まだ私の脳内では、ただの運動器具としての上り棒でしかなかった。
 小学五年生になると私はフェティシズムに目覚めた。尻フェチ。運動会が楽しみだった。運動会というのは五年生が応援団をやるのだ。そしてその応援団というのは我々生徒席にいる生徒に尻を向けて、保護者に向けて応援のパフォーマンスを行うのだ。その尻。その尻一つ一つに私は欲情していた。何故か応援団に参加した女子は私の好みの女子であった記憶がある。いやもしかするとそれはただの記憶の美化なのかもしれないが、私が今現在尻フェチであるのはその運動会の記憶によるのであると確信できる。その頃から私は、階段が好きだった。ただ私の場合は一般的にスカートの中を覗く為に、目標からかなり離れたところでそれを観察するのではなく、ピチッとしたズボンを履いている同学年もしくは高学年女子の真後ろにピタッとへばりつき、その尻にピタッと浮き出てくるパンティーラインを観察/記憶し、興奮していた。真後ろにへばりつくと、階段の性質上、前の女子の尻が鼻先間際まで近づくのだ。今思い出して見てもその状況は恐ろしく性的に興奮するし、東京の地下鉄に乗った際にはエスカレーターでその状況に遭遇し、私の前に居たのはピチッとしたデニムを着て、腰まで髪を伸ばした茶髪ギャルだったのだが、とても興奮したのを覚えている。
 そこで昇り棒なのだが、体育の時間、昇り棒に昇る女子はイヤラシイものであった。逆上がりがイヤラシイのはもはや一般的すぎて私はその時から、昇り棒がなんとなく好きだった気もする。その昇り棒をササッと昇ってしまい、私はそれを下から見上げる。すると上から「どんなもんだ」という顔で手を振る女子、私は彼女の事が好きであったのか、否か、それはどうでもいいが、その時下から見上げた彼女の尻、ピタッと浮き上がったパンティーライン、そしてその尻の肉付き、私は未だにその呪縛から抜け出せない気がする。あの映像が私を尻フェチにしてしまったのであります。
 で、ここまで書いて私は一体何をしているのだろうか、ということを考える。そしてハッと思いつくのだが、MSNのデニム特集とかいうのを見て、尻のショットがある度に「くそっエロいなぁ」と思ったことから全ては始まったのであった。読み返せない。読み返したくないほどキモイ文章だ。女子高生の尻は魔物。