後藤と保田と中澤と

 ハロプロというカテゴリを作るべきだ、ということに今更気付いたということ。そして後藤と保田の卒業ということに関して、今更私はここで思いの丈をぶちまけるわけだが、何故そんなことを思ったのか、というと、それはとあるスレでコンサートの音源が上がっていて、それを聞いたからだ。そしてそのコンサートの音源は「独占欲」というタイトルからして、私の知らない娘。のアルバム、愛の第6感とかいう6thアルバムに入っている曲なのだろうが、これが何故か絶賛されていたりして、よく分からない。娘。コンに行ったことが無いために、そう思うのかもしれないが、明らかにこれは面白くない。何故面白くないか、というと、そこに後藤がいないからだ、そして保田がいないからだ、更に遡ってしまえば中澤がいないからだ。辻と加護という飛び道具は、あくまで飛び道具であって、それはモーニング娘。という本体の中核を為すわけではない。例えるならば、辻加護は、お茶漬けや、お寿司や、とろろいもにバサッと振り掛ける海苔のようなものだ。無いと物足りないけど、まあ無くても困らないよね、という認識のものだ。でもののたんらいすっき。
 で、だからこそ後藤と保田と中澤だ。中澤が抜けたということはもうかなり昔の話で、その頃はまだなんとなく俺はファンなのかな、いやアンチモー娘。、ヤツラは日本の音楽業界をダメにした、即刻討つべし、という姿勢を保っていたのか、定かではないのだが、とにかく中澤が卒業する、というのはなんとなく一大事だった。私は中澤のトゲトゲしさが嫌いであったし、うちらアーティストです、みたいな姿勢がとことん嫌いだったのだが、それは要するに中澤が居るモーニング娘。という不気味な集団を好きでもあった、ということなのです。中澤が抜けて私はなんとなくふにゃん、となってしまって、ミニモニ。なんだぴょんっなどと思わず口走りそうになりながらも、プッチモニという拠り所を見つけていた。後藤保田吉澤、あれはパラダイスであった。
 今もプッチモニ。という形は残っているようだが、メンバーは小川吉澤アヤカ、というなんというか、お好み焼きの上に乗っかってるかつおぶしだけを「ほら食えよ」と差し出されているような気分で、非常に胸焼けがする。プッチモニとはそのような団体でありえたか、いや、有り得ない。プッチモニこそ我がモーニング娘。にかけた青春の群像であり、象徴である。
 プッチモニダイバーV3、これまたとあるスレでプッチモニダイバーを懐古していたのだが、俺はそのスレを見ながら泣いた。思い出したからだ。「モー娘。っていうか、ハロプロ?あんなん糞だよ糞、さっさと消えればいいのに」と表面では口走って、「時代は鈴木あみさ、ビートゥギャーザビートゥギャーザ」とノリノリで「アミーゴ!」などとも口走っていた私は、夜になるとこっそりイヤホンをして「モニってますか〜?」をものすごくニヤニヤしながら拝聴していた。吉澤と後藤ののらりくらりとしたどーにもならない話を、保田がピシャリと合の手を入れ、キャハハワハハとなるそのどうにもならない有様を聞いて、俺は「かわいい」と内心思いながらも、学校では「あんなの糞だ、何がベイベー恋にノックアウトだ!アホか!超超超イイ感じじゃねぇ!超をそんなにいっぱいつけんな!バカ!」と申し上げていた。私はとても素直じゃない少年だった。
 今、目の前に3本の60分カセットテープがある。先日コレ何が入ってるんだろう?と思って聴いてみると、A面にはV3が、B面にはアミーゴのラジオ番組が入っていた。私はそんな過去の自分か恥ずかしいと思いながらも、ヘッドホンでそれを聴きながらいつのまにか目がうるんでいた。後藤と保田は偉大なりけり。しかし、6期に罪は無い。さゆみんえりりんれいにゃキャワワ。