後浦なつみにおける差別

 大きな画像はココごっちんのプリティーフェイスが存分に拝める画像はココ。かわいすぎる。「ののたんを嫁にあややを妾に」というポリシーを少し崩して「ののたんを嫁にごっちんを義姉にあややを妾に」というポリシーにしようと思うが、悲しいかな私には男の兄弟が居ないので、ごっちんを義姉にすることは出来ない。私の両親がごっちんを養子に迎えるという手があるにはあるのだが、どうやったらごっちんのご両親に私の気持ちを伝えることが出来るのかが分からない、ごっちんのご両親を前にして「真希さんを私にください」と言えば良いのだろうか、そうすると今度はまたややこしいことになって、ごっちんは私の嫁になってしまう。それではいけないのであって、私の嫁はあくまでののたんなのであって、ごっちんはあくまで私の義理の姉でなければならない。「ねーねー、真希ちゃん」そのような甘え方がしてみたい。性的な交渉は無しだ。ごっちんかわいい。阿部和重には死んでもやらん。後藤真希単独コンサートにおいて、阿部和重が客席で「ごっちーん!ごっちーん」と叫んでいるときに、私はステージ裏で「真希ちゃーん!真希ちゃーん」と叫んでいなければならない。ごっちんは汗まみれでステージ裏に戻ってくる。私はタオルを手渡す「良かったよ真希ちゃん」ごっちんはニカッと笑うとタオルを受け取る「アンタの声、良く聞こえたよ、マイクに入っちゃったんじゃない?」僕は顔を赤らめて俯く「ヌハハ、ジョークジョーク」汗をふきながら私の肩を叩くごっちん。一方阿部和重は何も知らずに客席で「アンコール!ごっちーん!アンコール!」と叫ぶ。いくらごっちんと対談したからって私とごっちんの間の信頼関係を越えることは出来ない。ビバ妄想。ビバってどういう意味だろう。
 ところで、後浦なつみにおけるごっちんの衣装です。いつもは露出担当であるはずのあやや(右端)が長ズボンでおへそも極力出さない格好であるのに対して、ごっちんの衣装は割れ目以外は全部見せてやる!みたいな意気込みを感じさせる。割れ目というのはおっぱいの間の割れ目でもあり、足の指と指の間であり、また局部を指し示すこともある。ここでふと疑問なのが精霊なっちの存在。何故精霊なのか、というと罪を犯して天使から精霊に格下げされてしまったからです。先日も申し上げた通り、なっちに代わってみうなが道産子のイナゲなアイドルから翼の折れたエンジェルに格上げされたので、そこらへんの権力のイザコザというのはオールオアナッシング、つまり現在はナッシングということです。で、なっちの存在ですが、不思議ですな。後浦なつみ、即ち、後藤真希松浦亜弥、ここまではいい、ここまではよろしいのですが、この名前の並びに安倍なつみがくると、ん?という感じになる。勘違いしないで頂きたいのだが、私は別になっちがごっちんあややに劣っているとかそのようなことが言いたいのではなくて、それは系統的におかしいだろうということが言いたいのです。例えるならば、ごっちんあややは水です。なっちは氷です。ほらなんかちょっとおかしいでしょう。水の入ったコップを2個続けて置いた後に、氷がドンと置かれるわけです。喉が乾きますね。それではこの氷をコップに入れよう。カランカラン。あら不思議、氷水が二つできました。つまりどういうことかと言うと、後浦なつみの本質は、苗字の「後浦」の方にあるのだ、ということであります。
 ここで画像を良く見て頂きたいのだが、左からごっちん、なっち、あやや、という順番に並んでいて、我々は一見すると真ん中がメインのように勘違いしてしまいがちなのだが、実は違う。真ん中は真ん中という概念においてその当たり前さゆえに消去される。例えるならば神社の狛犬。神社の建物そのものよりも狛犬の方が強い。神社はあって当たり前なので意識からは飛ばされる。もちろん、神社は「当たり前に」あるという存在感からその存在を消されるので、それは決して嘆くことではない。だからなっちも泣かないでいいんだよヨシヨシ。ということで、私はごっちんあややに注目する。まず、ごっちんの髪型がベリーキュートだ。そして手には何を持っているのだろうか「視聴者の方からのお便りでーす、仙台にお住まいのペンネーム強いぞロボコップさん、ごっちんはどんな男の人がタイプですか?そーだねー、ごとーは優しい人が好きかな、つんく♂さんみたいな(嘲笑)それじゃー次のお便りいくよー」そんな感じなんだろうか、ごっちんはかわいいなぁ。更に私の視線は下に下に下がって行くのだが、次に行き当たるのはおへそだ。ごっちんのおへそ。この文面だけでちょっと乳首が立ってくるんだが、そのおへそから尻、更にふとももの肉感。ごっちんは一時期えらくガリガリになっていた時期がございましたが、今のぐらいがすごく丁度いい。そのホットパンツについたジャラジャラとした金具だとか、ラビアのようなヒラヒラだとかは、ごっちんの腰を前にしては余計な装飾であると私は思う。椅子に腰掛けていると尻や太ももがブニョンという感じでつぶれるのだが、右太もも、つまり私から見て左の太ももはその現象を見事に表していて、とてもえっちだ。「ごっちん太もも太いねー」そう言うとごっちんはちょっとほっぺたを膨らまして「こんぐらいが好きなんでしょ?」大好きです。
 ここであややの方へ移りたいのだが、このあややはいくら眺めてみてもなかなか良い表情してるな、という感慨以外は沸かなかったので少し困っております。何を書けばいいのだろうか。ふきだし付けて言葉でも言わせて見ればいいのだろうか。そうだな、このあややには何を言わせたら面白いのだろう。うんうんと考えてみても一向に思い浮かばないのでこれまた困った。今日のあややは僕を悩ませる悪い子だ。「悪い子だぞあやや」と口に出して言ってみると、ふと思いついた。あややはこの顔でごっちんに向かってこう言っている。「お前うっかりまんこが出てるぞ」ダメだな。つまんないよ。それはそうと今日はまたあややオールナイトニッポンです、今日こそ松ペン先生のコーナーであややは「おまんこ!」と叫ぶ。自分の日本語能力の危うさに気付いてパニックになった瞬間にあややの頭の中に、一瞬の閃光のように浮かんだ言葉がおそらくそれなのです。あややにとって「おまんこ!」という言葉は「だってハンバーグしかわかんなかったんだもん」とか「らって自慢するんらもん」みたいな名言に近い衝動、そうそれは名詞の枠を超えて衝動という概念に帰結する。ZAZENBOYS向井秀徳も言っていた「松浦亜弥は焦燥音楽家、即ちロックンロール」ファンに怒られそうだから言っておくと大嘘です。でもなっちの不祥事に関しては擁護していた。「あれを盗作盗作と騒ぎ立てるなら僕なんかはルパン三世も真っ青な大泥棒だ」と。そうかなぁ。向井氏の言う盗作と、なっちの盗作では次元が違うと思うのだが、どうなのだろう。「トマトはメロンにはなれない」と「キュウリはトマトにはなれない」の違い。低レベルすぎると思うんだがそこんとこどうなのだろう、なっち。「盗作ぐらいでガタガタ言われてむかつく」という発言の真偽を知りたい。世の中はそんな世知辛い話題で一杯なのだけど、ごっちんがかわいいので全てチャラだよね。ごっちんごっちんごっちん。ごっちーん。