ののたん

 何をしてるんだののたんののたんはもう18歳だ。確かにAVにも出れるし、借りることだって出来る、そんな年齢なのは分かっている。しかし何をしているんだののたん。一体何を求めてまんぐり返しをカメラに見せ付けているんだ。そしてカメラは何をそんなに間近でスケてるパンティを写しているんだ。双方とも揃って貴様等は一体何をやっているんだ。「じゃあ、今からまんぐり返ししますんで」「OK!」「ちゃんとスケスケのパンティまで撮ってくださいよ!」「OKOK!任せときなって辻ちゃん!」そういう会話がののたんとカメラマンとの間で為されたとでもいうのか。ののたん。私はね、ののたんを愛しているんだ。だからこんぐらいのまんぐり返し及びパンティが透けてることなんて全く意に介さないんだ。自分で書きながらよく意味が分からないんだ。だけれどもね、やっぱりパンティラインというのは現代社会に氾濫するエロティシズムに鋭く疑問を投げかけていると思う。実際にこの目で見たことはないのだが、ローライズで尻の割れ目を見せながら歩いたり、女子高生がブラジャーを透けさせていたり、妙にスカートの丈を短くしていたり、雨に濡れてプリーツスカートのヒダヒダが太ももにいやらしくまとわりついていたり、または一度ネットを巡回すれば無修正の動画画像は氾濫し、「おまんこ 色 私大模試」と検索すればこのブログが出てくるような時代だ。そのような現代社会に溢れるエロチシズムを、パンティラインはものすごく鋭利な鋭さで斬っていると思うんだ。忘れかけていた君の尻の輪郭をちょっと思い出したりしてみるんだ。パンティラインはどんなに無修正のおまんこよりもエロいんだ。だからね、僕は今勃起している。勃起しながら後悔している。なんでもっと早くこの画像に出会わなかったのかと後悔している。そもそもまんぐり返し自体は昔からあったんだ。ののたんあいぼんは意味もなくまんぐり返しをするのが好きなんだ。それは知っている。ミニモニの頃からそうだ。その当時はなんとも思わなかったんだ。それはののたんが子どもだったから「ああ無垢な子どもが身体の柔軟性をこれ見よがしに見せ付けているな」と笑顔で居られたんだ。しかしののたんは18歳だ。テレビを通じてまんぐり返しをするなんて吃驚してしまう。しかもパンティが透けているんだ。僕はクロッチの部分のパンティラインに興奮を隠し切れないんだ。思わず陰茎を握り締めて、前後左右に摩擦してしまうんだ。ごめんなののたんと言いながらもしてしまうんだ。でもそれは今に始まったことでもないんだ。ミニモニのロックンロール県庁所在地でやたらに見せパンを見せつけていたののたんでも僕は抜いたんだ。ポップジャムのカメラアングルで何度となく抜いたんだ。ポップジャムのアングルはののたんの尻に焦点を当てて撮影していたんだ。そしてやはり、見せパンの下から本当のパンティらしきラインが透けていたんだ。僕の好きなクロッチ部分のラインまでくっきりだったんだ。僕は抜いたんだ。それで10回は抜いたんだ。もっと思い返せば、これもまたポップジャムで、恐竜音頭の衣装を着たののたんがカメラに尻を向けてプリンプリンプリンとやった時に見えた僅かなピンク色の見せパンでも数え切れないぐらい抜いたんだ。僕は泣きながら抜いたんだ。友人に「この間のポップジャムののたんがパンチラしてね」という話を長々としてやったら、友人は人間魚雷回転の話を長々と垂れ返してきたんだ。だから私はアムールビジネスの素晴らしさを説き返してやったんだ。いや、そんなことはどうでもいいのだった。他にも遡ると、ここにいるぜい!のハイキックのののたんでも幾度となく抜いたんだ。ハイキックの振りつけがあるのに何故か衣装がスカートだったんだ。カメラはばっちりとののたん股間を捕らえたんだ。黒い見せパンが僕の股間をヒートアップさせたんだ。Beat it!だったんだ。マイケルだ。ヴァンヘイレンだ。僕はエディー・ヴァンヘイレンばりのハミングバードピッキングで何度もオナニーをしたんだ。気持ち良かったんだ。それは高校二年生の冬だったんだ。僕の奴隷、向井ユウマが彼女と抜き差ししながらクリスマスを過ごしていたときに、僕はののたんの黒い見せパンで抜いていたんだ。僕は悲しくなんかなかった。誇らしかったんだ。また、いつだったかの正月の特番でフラフープのギネスの挑戦している時のののたんでも抜いたんだ。白いズボンから、またしてもクロッチ部分のラインが透けていたんだ。でもこれでは3回ぐらいしか抜いてないんだ。日常に混じる性的少女の香りが、あまりにもギルティーだったんだ。でも僕は3回は抜いたんだ。ののたん。僕のことを好きになってくれ。愛してるって言ってください。いやごめん、馴れ馴れしいかもしれない。愛してるって言えよ。僕はね、ののたんで抜いたんだ。抜いたとか抜かないじゃなくて、愛してるんだ。抜いた回数とかは実際関係無いんだ。僕はののたんを愛しているんだ。だから抜くんだ。でも「愛している」と「抜く」との間に、何ら論理的な繋がりはないんだ。例えば僕は家族を愛しているけど、家族では抜かないんだ。多分ほとんどの人がそうだと思うんだ。あと、ガキさんを愛してはいるけど、やっぱりガキさんでは抜かないんだ。単純にガキさんには性的な魅力かないんだ。圭ちゃんみたいなものだ。でも圭ちゃんで一回抜いたことがあるんだ。これは秘密だぜ。秘密ボーイズトップシークレットだ。プッチモニの頃のごっちんで抜いていたら、圭ちゃんがドアップになった瞬間に出てしまったというだけの話だ。僕はごっちんで抜き始めて圭ちゃんで発射したんだ。途中に市井って子もいたけど、市井って子のお尻もなかなかおいしそうだと思ったんだ。市井ちゃんは今は一児の母です。そして今の姓は吉澤です。吉澤紗耶香。あの頃の市井ちゃんはどこにもいないんだ。「ごとー」「なーにいちーちゃん」という、バカみたいなやりとりはもう絶対に無いんだ。「ごっちーん」「まっつー」そうだ。ごっちんあややが僕の生きがいなんだ。ののたんなんて関係無いんだ。僕はののたんで抜いた回数は数知れないけれども、ごっちんあややで抜いた回数の方が数知れないんだ。だからね、僕はどうしたらいいんでしょうか。