東京事変

 後輩から貸してもらった林檎の武道館ライブのDVDを見て熱くなった。大学に入ったらまたモヒカンにしようかななんて思った。モヒカンでスーツを着て入学式というのも悪くない。注意とか警告とか体罰とかされるのだろうか。林檎に「師匠」って呼ばれてみたい。友人の一人に私のことを師匠って呼ぶ人間がいるのだけど、その割にその行動には私に対するリスペクトが全く見えないので、これは矢口があややのことを師匠と呼ぶようなものかなと思って納得するのだが、すぐに話がそういうところへ転がって行くのは悲しくもあり、誇らしくもある。今あややのANNをやっていて、先日の姫路城ライブについてのエピソード延々と垂れているのだけど、聴いていると俺も姫路城に行けばよかったなあと後悔を感じる。あややと姫路城。後藤真希ののたんのようなものだと思う。いや、やっぱり違うかもしれない、ごっちんあややだとすると姫路城はののたんということになって、ややこしいことになる。結構どうでもいいことですね。
 今日というか昨日は代ゼミの授業を結局すっぽかしてしまいました。非常に申し訳無い気持ちでいっぱいです。目を覚ましたら16時でした。さすがに驚きましたが、こんな驚きにはもう慣れました。代ゼミをさぼってしまったのには寝坊以上の理由はありません。深夜に川に向って放尿したことの報いなのかもしれないです。あ、今あややが「姫路ではあややっていうか亜弥ちゃんって感じで応援してくれています、それが嬉しい」と言いました。これからは亜弥ちゃんって呼ぶことにしようと思いました。「大好きだよあやや」というのと「大好きだよ亜弥ちゃん」っていうのとでは、後者の方がより愛情が篭っている感じがしますが、その分だけ気持ち悪くなってしまったような感じがします。最終的には「愛してるよ亜弥」に辿りつきたいのですが、そこに辿りつくのにはこれからどれだけ多くのことを捨てなければならないのでしょうか。僕はまだののたんに対しても「愛してるよ希美」には辿りつけません。どんなに頑張っても「愛してるよののたん」どまりです。こんなにののたんのことを愛しているのに、ののたんという愛称から抜け出せないのです。ののたんを希美にしてしまうと、もうそこで私の人生が終わってしまうような気がするのです。れいなにはいくらでも「愛してるよれいな」と言うことができるのに、何故あややののたんにはそう言うことができないのだろう。愛してるよちんこ。