好きなものは好き

 クレイジーな女の子が好きです。狂ってるとか、狂気を孕んだ、なんて仰々しいものではなくて、単にクレイジーな女の子。ペットボトルの蓋を閉めないとか、脱いだ靴下を洗濯籠に入れずに放置するとか、しょうもない化粧に二時間もかけて満足そうな顔をするとか、食費を切り詰めてオシャレな服を買うとか、眼球の飛び出したようなグロテスクなキャラクターを見て「かわいい」と言うとか、そういうものを僕はクレイジーだと思います。
 狂気とか気が狂ってるとかキチガイだとか、そういう言葉は「誰の目から見てもオカシイ、見ていると不快で、下手をするとこちらに危害が及ぶ、迷惑な奴」という感じがあって、その狂ってる/狂ってないの基準というのは「一般的に見て」という、分かるようでよく分からない、大変頼りないものに立脚しておる概念で、僕が誰かを見て「狂ってるなあ」と言うのは、僕の感覚や基準を無自覚に一般に敷衍しているという行為であって、それは少しおこがましいと思うわけです。だからつまりクレイジーというのは僕が僕の基準で変だな、それは納得がいかないな、と思う事柄全てがクレイジーなわけで、例えば「ベッドの上では靴下を脱がなくてはならない」「枕を汚い足で踏んではならない」「パソコンを触る時は手を洗わなければならない」「友達のお母さんの握ったおにぎりにちょっとした汚らしさを感じる」などという僕個人のこだわりは他人の目からすると、一々細けえなクレイジー、と思われても仕方の無いことで、別にクレイジーだと言われて腹が立つわけでもなく、そこが僕とあなたとの違いなのですね、と極々冷静に思うことができるし、そう思わなくてはならない、という意固地なクレイジーさを僕は僕として持っております。
 そもそも女の子というのは存在自体がクレイジーなわけで、例えばおっぱいが付いていて、ちんこが無い、甘い声で妙に官能的にささやく、男と同じパーツを共有している癖に顔のつくりが何故か男と違ってる、生理の時股の間から経血をドバドバ垂れ流しながら、何食わぬ顔をして外を練り歩くことができる、そして女は何故か男のことを好きになる。女は女でクレイジーだし、男もその女とは身体のつくりや気持ちのありようからして全く逆である、というのがクレイジーな気がする。女が男を性的に好きになる、というのはクレイジーだし、男が女を性的に好きになる、というのもクレイジーだ。性的なことがら、というのはつまるところ全てクレイジーだ。
 クレイジーな女の子を外から見ていると大変魅力的で、わがまま放題の女の子がマジメ一直線な男を振り回している様なんかはたまらなくかわいらしいというか愛おしいような気持ちになる。
「あー、このバッグかわいい! かわいー!」
 と、高級そうな内装・店構えのカバン屋で、一見して高級そうな革を用いたつやつやと黒光りしているバッグを手に持って、今正にぴょんぴょんと飛び跳ねるかのように身体を上下に揺らしている女の子の髪は長く、ゴールデンレトリバーのような色合い・質感でサラサラしていた。横に居た男が「そう?」とか言っている。ちょっと引きつった顔つき。
 女の子はこのバッグをかわいいとアピールすることによって、このバッグが欲しいのだということを婉曲に伝えているのだろうが、男はそれがあからさま過ぎて若干引いているし、それでいてちょっと悩んでもいる。
 男はこの一瞬間に色々と考える。このバッグを買えばとりあえずこの女の子が喜ぶだろうということ、それによってこの女の子の中での自分の価値が高まるだろうということ、だが結局金なのか? 女の子のために身銭を切って、自分にとっては何の価値もなさそうなものに金を払う、つまりこのカバンという無価値なものを買うことによって、女の子の気持ちという価値を買うということ、これがレンアイというものなのか? だが「高いバッグを女の子に無理しつつも買ってあげる」という行動は、この女の子に対して並々ならぬ情熱を注いでいるということの何よりの証左であり、男は自身のその情熱に酔うこともできるだろうし、逆にそれを上手く手玉に取られて「ねだったら欲しいものを買ってくれる、チョロい男、サイフ代わり」として弄ばれてしまうかもしれない、そういったことを瞬時に考えている、のかどうだかは分からないけれども、そういったやり取りを眺めている僕からすると、そう思うので、まあそれではないにせよ、何かしら考えているだろうなあと思う。
 男というのは実にカヨワイ生き物だ。いつも主導権はあちらにある。女の子の行動に対して、どう返せば最も良いのかを悩むしかない。いやそれは違う、と女の子は言うかもしれない。私は純粋にあのバッグがかわいいと思ったから手に取ったわけで、そして手に取って、見て、やっぱりかわいかったからかわいいと思い、そう言って、身体全体でこのバッグのかわいらしさを表現しただけであって、それを男が「買って欲しい」アピールだと受け取って買おうが、へえそうなのと言って買うまいが、それは知ったことではないし、どっちの結果であれ、その結果がその男との後々の関係に影響するかどうか、というのも知ったことではない。女というのは別に全てのことを計算づくでやっているわけでもないし、男が勝手に色々と推測して勝手に自滅して、下手をすれば勝手に卑屈になって恨み言を呟いているだけであって、そういうのはあさましいと思う。本来的に、男と女は違うけれども、同じ人間で、だから主導権は常に行ったり来たりするのだし、どちらも対等なのだ。