「直に嗅ぎたいの?」

 着衣の女の顔面騎乗、そこまでは良かった。麗しかった。最高だと思った。しかし「直に嗅ぎたいの?」という台詞は違うと思った。私は別に直に嗅ぎたくはなかった。パンツ越しに嗅ぐのと、直に嗅ぐのと、そのどちらがより興奮するのかと言えば、前者の方が圧倒的に興奮するように思われた。だから違うと思った。その台詞は違うと思う。トンカツから衣を剥ぎとったものをお前は食いたいのか、と問われているような感じがした。食いたいはずがない。トンカツはトンカツとして食べたいのである。顔面騎乗は着衣であるから良いのであって、直の顔面騎乗はSMの領域である。あれは侮辱行為である。私はそんな侮辱を受けたくない。匂いフェチあるいは下着フェチあるいは布に包まれたお尻の柔らかそうな感じが生尻なんかよりよっぽどいいんだフェチの文脈から言えば、顔面騎乗は理想と現実の終着点であり、もっとも幸福な一つの瞬間であり、SMの文脈における顔面騎乗とは遠く離れたところで成立する事柄なのである。だから「直に嗅ぎたいの?」は違うと思った。その台詞は歴然とSMの文脈に裏打ちされており、私はいつもこういった安易なSM文脈の応用と拡張には憤慨しているのである。足コキにしてもそうである。あれもなぜかSMの文脈を呼び込みやすいプレイの一つであり、「足でされてこんなになっちゃうなんて変態ね」などという台詞が思い起こされることだろうが、これもまるで違っていると思った。「そんなこと言われるならもういいです、結構です、バカにすんなよ」と思う。あれは「ほんとに? 足でやんの? えー……やだなあ……、ほんとにこんなので気持ちいいの? えー……」のように、やや変態じみたプレイをさせられてしまうことに対して忌避感がある女に、「いいからいいから、それがいいのよ、ね、お願いだからやってよ」と無理に頼み込んで、嫌々ながらもやってくれる、という流れがあってこそのプレイなのであると私は思っており、そして匂いフェチ的な文脈から言えば、足コキは靴下を履いていなくてはならない。それも靴を脱ぎたての、革靴やブーツを脱ぎたての、ほかほかと湯気が立ってきそうな、そういう足で為されなければならない。靴下を脱いでしまったならば、それはただの湿った臭そうな生足であり、「いいからお前足洗って来いよ、くっせえな」という話であり、しかしちょっと舐めたい気もする。それはまた別の話である。とにかく足コキは靴下を履いていなければならず、顔面騎乗は着衣でなければならない。布越しでなければならない。そういう憤りを感じた。