THE・代ゼミ

 左隣の女の子がかわいかったような気がする。右隣の女の子もかわいかった気がする。階段を上る時に、女の子のプリッとした尻を公然と眺めながら上ることができるということは、筆舌に尽くしがたい快感であるのだが、現役生は制服。摩擦のせいでテカテカと黒光りした卑猥な制服のスカートがチラチラと僕の頭上僅か数十センチの所で揺れる。そこには大陰唇及びそれを用いて繰り広げられるヴァギナという女性器の総体としての概念、即エロス。世間虚仮、唯仏是真。この世の中はかりそめの物である、ただヴァギナのみが真なり。現代文の教員はそう口走った。今更「夜中に興奮して書いたラブレターを翌朝見ると顔から火が出るぐらい恥ずかしい」という涙がちょちょぎれるようなエピソードを実に嬉しそう紹介する教員。女子生徒は皆お前のことを「ヴァーギナ」と思ったことであろうと思う。ダジャレです。「バーカ」ということです。広がるユートピア。僕の右隣の女の子でも、左隣の女の子でもなんでもいいからお友達になりたい。手を握ってみたい。見詰め合って、「いやっ見ないで、恥ずかしい」「だってかわいいんだもん」ポッと顔を赤らめる貴女と私。更には「ごめん、ちょっと消しゴム貸して」と「えっ、いいよ」の間における微妙な気まずさ、そして返す時の「ありがとう」と「いえいえ」の間の氷が溶解して行くような生温い温度。お前俺に惚れたんちゃうか。そんなことはないのは十分に承知しているのだが、そもそも消しゴムの貸し借りということ自体が悲しむべきことに事実ではない。私は隔離された空間で、悶々と左右の女の子に対して性的な空想を膨らませながら、It is no use crying over spilt milk.と呟く。こぼれたミルクに泣かないで。自身が童貞であることをこれでもか、というほど思い知らせてくれる場所、それが代ゼミ。ある英語の教員は熱弁を振るっていた。「俺たち予備校の教師は、君達に『夢』を叶えて欲しい。予備校は受験勉強をするところじゃない、『夢』に向かって突き進んでいく君達を、応援するところ、俺はそう思う」ロマンティックすぎて言っている意味が良くわからない。要するに「童貞を捨てろ」ということを言いたいんだと俺は解釈した。でも私は童貞を誇りに思っているので、そんな野暮なことはしないと思う。私の童貞はののたんに捧げる。そしてののたんは俺に処女を捧げる。あややは僕の胸をこれでもかと締め付けるセンチメンタルを供給し、矢口は小栗のために「ごめんちょっと練習させて」と言って私でフェラティオの訓練をする。俺はここで矢口の行為の正当性を勝ち取る。高橋はそれを指を咥えて見ていればいい。新垣はその全体の状況を見て「私にはまだ早いですってばー」と顔を赤らめていればいい。それが代ゼミ。入学金:15万、授業料:30万、代ゼミで過ごした浪人生活:プライスレス。代ゼミには罠がいっぱいです。