Summer is coming.

 あややのラジオ聴きました。あややの口から発せられる言語はもはや意味を超越してしまって、ただ純粋に心地良い空気の振動として私の耳に入ってくるようになりました。だから内容は全然覚えていません。否定的な観点から言えば「飽きた」ということなのでしょうが、私個人の感情としてそれは認めたくないので、言語から意味を剥ぎ取った、純粋言語としてのあややのアイドルトーキングの可能性について言及して行きたいと思ったのですが、「純粋言語」なんていう東大模試で一回見たっきりのようなことに関して触れるのはボロが出そうなのでやめておこうと思います。でも思いだしたので少し書くのですが、その模試というのは確か高二の終わりに受けた模試だったのです。大問1番が堅苦しい「amozon.comが云々」というような昨今の情報社会論であったのに対し、大問2番は「全くの異文化における純粋言語」についての随筆的な文章でして、おおまかな筋としては「自分の全く知らない外国語圏に行って、その言葉を聞いていると、最初は全く意味が分からないんだけど、次第に不思議な高揚感を覚え始める。これこそが本来あるべき言葉の姿、純粋言語だ。私は日本に帰ってから、度々そのような純粋言語の世界に憧れを覚えるようになった。だから未だに外国語は勉強しない」というような感じで、ただ単に外国語を勉強するのが嫌な言い訳をしているような文章だったのですが、問3あたりの設問で「何故筆者はさっぱり意味の分からない外国語を聴いていると、次第にエクスタシーを感じるようになったのか?150字以内で答えよ」というようなことを訊かれて、当時高校二年生、受験国語のなんたるかも知らないおこちゃまだったので「筆者が性的に倒錯していたから」という本文のどこにも根拠のないことを解答の核として、無理矢理120字ぐらいの解答に仕上げたことを記憶しています。今ならそんな無粋な真似はしない。「筆者は松浦亜弥のファンだったから」という、現代社会の文脈を全て捉えた解答を返してみせる。
 ところで夏が来つつあります。夏になると色々と良いことがあるのですが、今回は同じコースの女の子のタンクトップについて言及したい。私は今まで脇フェチというものを否定してきたのですが、いざ現実の女の子の脇というものを前にすると、不覚にも興奮してしまいました。実際には女の子の脇を直視した、というわけではないのですが、私の隣の席でタンクトップになられると「ああこんな子でも脇に汗かいてるんだろうな、そしてその汗にまみれた脇が今俺の吸っている空気と、直に触れ合っているんだよな」という思いは留めることが出来ず、その子はそのタンクトップの上に普段はデニムのジャケットを羽織っていることが多いのですが、授業が始まるとそれを脱ぐのです。それを脱いで裸の肩が出てくるという様が実にいやらしくて、「ああこんな子でも彼氏に服を脱がされて、ブラジャーを外されて、その小ぶりなおっぱいをギュッと両手で隠しつつ顔を赤らめて『恥ずかしいから健太も脱いでよ』言っちゃったりするんだろうな、そしたら健太も服を脱いでブリーフ一枚になって『いやだー健太ブリーフなの?』とか言われて、健太は彼女の口から『ブリーフ』という言葉が発せられたことに興奮して、そのブリーフを脱ぎ捨てるとその猛々しく反りあがった肉棒を彼女の花びらにあてがった」ちょっと官能小説風に想像をふくらませながら、彼女の裸の肩を横目で見つめてはため息をついてしまう。私は彼女とセックスがしたい、などというおこがましいことは考えないのだが、せめてそのデニムのジャケットの脇の部分を存分に嗅がせて欲しいと思った。そして出来るならばその脇をばちょっと恥じらいながら僕に見せ付けて「ここも臭い嗅いで、舐めて」と言って欲しいと思った。