夢を見ました

 幼稚園の頃の夢でした。私は小泉首相と対談しておりました。小泉首相は是非君を学習院幼稚園にと非常に熱心でしたが、私はいえそのお気持ちは大変嬉しいのですが皇族とご学友などという名誉なことは私には勿体ことでございますと言ってその申し出を断りましたらば、首相は烈火の如く怒りて「学習院幼稚園に入らないと貴様を北朝鮮工作員に拉致させるぞ」と脅されましたので、私も腹が立ちましてやれるものならやってみろと言って部屋を飛び出すと、その足で朝日新聞へ赴きまして、私は先日3才になったばかりのお子様であるが小泉首相にこれこれこういうことで北朝鮮に拉致させるなどと脅迫されましたという記事を書いて、その日の朝日新聞は号外でそれを発行しました。小泉首相は政界から追放され、私は一躍時の人となり、各テレビ局、新聞社、雑誌社などからインタビューの申し込みが次々と舞い込んできましたが、私はそれを全て断り、UFAからの「あなたを是非ハロープロジェクトキッズに」という申し出だけは受け入れて、めでたく私はハロープロジェクトキッズに加入し、梨沙子ちゃんと遊ぶ振りをしながらパンティを盗んだりしました。それから5年と10ヶ月の歳月を掛けてハロプロ主要メンバーのパンティを一通り揃えたところで、自宅に東京地検強制捜査のメスが入り、後藤真希入浴盗撮や石川梨華トイレ盗撮などの動画がぎっしり詰まったパソコンと、私が5年と10ヶ月という連綿なる窃盗行為を続けてやっとのことで揃えたハロプロパンティコレクションが押収され、私は窃盗罪・機密漏洩罪の名目で禁固20年の刑を課されました。私は刑務所の中で、強制捜査によって押収される直前になんとかハロプロパンティコレクションから抜き取って、アヌスに隠しておいたごっちんミキティとれいなとののたんのパンティを履いたり嗅いだりしながら20年を過ごしました。そうして過ごしていると20年などという歳月は実にあっという間だったような気がしました。しかしいざ出所となると、塀の中と外との差異、20年という歳月がもたらしたギャップに耐え切れず、とうとう私は自殺してしまいました。犯罪はいけないなあ、と僕はそのように思いました。