水着にスニーカーを合わせるとグッとセクシーになる

 女の子は自身の後姿の見映えについてよく考えなければいけない。ジーンズはお尻の部分にだらしがなく余裕のあるものを履いてはいけない。そのジーンズからは歩くたびにうっすらとクロッチのラインが透けていなければならない。女の子の着る上着はそのパンティラインを隠すようなものであってはならない。何のためにレディース物の上着は短いのか?その問いに対する答えはじっくりと考えてみるまでもなく、女の子の美しさの半分がお尻のシルエットの美しさから来ているからである。仮に顔が吉澤ひとみであっても、お尻がだらしなければその女の子の美しさは著しく半減する。だらしがないお尻が良いのだ、という批判もあると思う。例えばミキティえりりんのお尻だ。あれは確かにだらしがない。だらしがないがそれはミキティえりりんの体型にとって大変似つかわしく、あれで均整が取れているのである。もしミキティが今の体型のままでごっちん並にしまりのある尻となったとしたら、それは果たして美しいのであろうか?いや、それは決して美しくない。物事にはバランスというものがあるのである。だから女の子は自身の身体とお尻のバランスをよく考えなければならない。私は基本的にののたんが好きなのだが、今考えるに以前の押しつけがましいほど太いふとももと大きなお尻というバランスは実に滑稽であった。そしてその滑稽さが当時のののたんのキャラクターと非常に調和していた。もしあの頃のキャラクターのののたんが現在のようなスタイルであったら、それは本当に美しいと言えるのであろうか、そして私はそのののたんを愛せるのであろうか。答えは否である。私は常に総体として釣り合いのとれたののたんの美しさというものに心惹かれていたのであり、現在の容姿のののたんにも同様の理由から心惹かれなければならないのだが、現在の実情はどうか、僕はもっぱらののたんと口にする代わりにれいなと口にしており、その興味の対象がののたんかられいなに移った。これはどういうことか。それを考えてみると、今現在においてはののたんよりもれいなの方が総体的に釣り合いの取れている状態なのだと言うほか無い。現在のののたんは容姿とキャラクターとが全体ちぐはぐであるように感じる。それは事務所の意向とののたんの現状との行き違いであるとも言える。成長して行くののたんを以前の「辻ちゃん」のキャラクターの枠で捉えようとするからこのような無理が生じるのである。現在のののたんはもう少し知的にならなければならない。現実がどうであれ、テレビではののたんのキャラクターから辻希美のキャラクターへ変遷していかなければならない。それと同様のことはあややにも言えるのである。現在あややあややというキャラクターから脱して松浦亜弥という路線へ変更しようと努めているのだが、それはどうもおかしい。あややはまだ依然としてあややでなければならぬ。ブリブリアイドルとしてのあややは20代になろうともあややで在り続けねばならぬ。それは何故かというと、現在の少し口の悪く性格のキツそうなキャラクターと昔のあややとしての容姿が丁度良く調和しているからである。現在のキャラクターに大人の松浦亜弥という容姿が重なると、それは酷い不調和である。まず藤原ノリカのような髪のウェーブを取るべきである。やめるんだ。もっと19歳らしい髪型をすべきである。その上で口汚いあややのキャラクターを続けるべきである。そして曲も砂を噛むようにNAMIDAのようなしんみりしっとりとした曲ではなく、以前のようなそこまでしないでもと言うようなアイドル的な曲をやるべきである。さもなくばピチカートファイブのような曲へ路線をシフトさせるべきである。とにかく現在のバラード路線には私は断固として反対するのである。それはアルバムでやればよいのだ。砂を噛むようにNAMIDAのPVのあややはとても見ていられないのである。同じバラードでも100回のKISSのようなあややが見たいのである。女の子は常に自身の後ろ姿の見映えに関心を払うべきである。自分ではとても見ることのできない背中だが、それは自己を相対化するということのメタファーでもあるのである。そして今日はあややのANNなのである。