23歳になって一週間が経とうとしています。

 久しぶりにはてなにログインする度に仕様が変わるのでいつもいつもアウェイな心地がする。ネット上で常にアウェイ。当たり前だけども。ネットをホームだと考えている人は2ちゃんやニコニコ動画mixiTwittertumblrfacebookに犯されていますよね。それらのサービスがネットを全て包括していてそこでの言説がオンラインではあたりまえみたいな顔していますけれども、ネットはホームであるという考え方はサークル活動の空間的時間的延長でしかないと思います。twitterやtumblerはその他SNSと違ってアウェイをアウェイなままホームのような気分にさせるという点でうわっこれやべー気持ちいいと思うのですが、そこにハマる時間が長くなればなるほど結局サークル的な雰囲気になってしまうのであろうから、followは努めて流動的にすべきであって、「渋谷なう」とかそういう言い回しを極力使わないということによって常にアウェイ状態を保つようにする!と言いつつもそれはしんどいので結局惰性、海外のユーザーの自由闊達なtwitterの使い方を見ていると羨ましくなる。日本のtwitterを見ているとつぶやきの投稿というよりもほとんど独り言の多いチャットとなっているのが窮屈。それでもmixiとかにある閉塞感がないのがいいです。mixiはやればやるほど虚しさがこみ上げる。
 ここのところ家庭教師というものをやっているのだけれども、高校浪人時代に考えていたそれとは違ってカテキョというのはすこぶる悩ましいバイトだ。「女子高生と対面で一対一で顔を突き合わせてまんこまで1m以内という距離感で肌の質感や体臭や髪の臭いを感じつつ上目遣い、先生ここが分かりません、何々こんなの簡単じゃないかほら、うわっすごーいおおきーい、というような優越感に浸りながら、親にはいつもありがとうございますと感謝され、さらには高額の報酬が貰える夢のようなバイト」だと思っていたのですが、そんなことはなかった。まず僕の先ほどの考えでは女子高生は俺より背が低くてつぶらな瞳で「先生!今度一緒に遊びにいこうよ!」というようなちょっと純粋無垢に活発的で、俺の男性性をしたたかに理解しつつも、表面上ではそれを見せずに放たれる性的な危うさというものを持っていて、なおかつかわいい、という前提の下で成り立っているのだが、実際の女子高生がみんながみんなそんなわけではないし、そもそも男のカテキョにはまずもって男の生徒があてがわれる。男でも「先生!ギター弾けるんですか!俺もバンドやってます!ラッドとか!バンプとか!サム41!とか好きです!最近はスレイヤーも聞きます!」みたいな単純直結な楽器弾ける=偉い、数学できる=偉い、みたいなできることと人間性とをシンプルに直結させる素直な子ばかりでなくて、どちらかというと親もちょっともうこの子は私の手には負えないし学校も信用できない、なんとか勉強するフリだけでもできるようにしてやってくれ、あわよくばいい学校に受からせてくれ、という極めて投げやりな態度の方々が多く、その上で報酬をどうにか値下げしてもらえないだろうかというようなことを言ってくる。僕はどうしたら勉強に対するモチベーションを挙げることができるのだろうか、ということから考え始めなければならず、そもそも中学生高校生は勉強なんかよりオナニーの方が好きに決まっているのだから、というかそれは僕もそうなのだけれども、勉強の教え方なんて実際どうでもいいし、そこから人間的なコミニケーションが生まれるかというと、指導者と生徒という形になってそこから一歩も動かない。たまにする雑談は、部活はどうなの?まあ普通です。昨日とか何してた?寝てました。という一問一答のロボットのような答えしか返ってこないのでもういいやと思い、勉強ばかりしていると生徒よりも俺の方が熱心に数学の問題などを解いてしまい、何をやっているんだ俺はと途方にくれる。カテキョ先の女子高生とセックスとかありえないですよ。