猫とギターと枯れたサボテン 改訂版その六

 コーラと鼻血の混じった液体の頑固さというのは想像よりも恐ろしいもので、一通り拭き終えたな思ったらば、最初に拭いた方は乾き始めており、コーラの甘ったるさがペタペタとし、鼻血はガリガリとそこにこびりついており、汚い。それでも一応店員さんに「掃除おわりましたおわりました」と言うと店員さんは「まだですまだです」と言うので、もう一度キチンと水洗いをし、硬く絞った雑巾でそこを拭いて「どうですかどうですか」と尋ねると「まだですまだです」と言うので、一体いつまでこんな不毛な掃除をやらせるのだろう!どのみちスタジオを使っていればいずれ汚れるのであって、私が今ここでいくらキレイにしようと10年後20年後にはこんなスタジオなんか薄汚れて、もしかしたら潰れているのに決まっているのであって、そのように文句を申し立てると「あなたはあと数十年後には死ぬと思いますけど、死ぬと思うというか、確実にあなたは死にます。どうせ死ぬのだから今ご飯を食べなくっていい、とそういうことになりますか?もう今死んでも、別にいいんじゃないですか?あなたの言っていることはそういうことですよ」と妙に哲学的な、この世の真理のようなことを言うので思わず感動してしまって「名前を教えてください」と言うとその店員さんは「松浦です、あややと呼んでください」と言った。私は「あややはさ、これから暇なの?いつ仕事終わるの?」と尋ねると「もうおしまいです。仕事おしまいです。これからは自由の身です。あなたが掃除をキチンと終えてくれさえすれば、仕事おしまいです。もう全部おしまいです。店じまいです」と答えるので「私はねえ、ひとみちゃんって呼んで」と言うと「ひとみちゃん、はやく掃除しろ、そしてさっさとどっかに行っちまえ!」と客を客とも思わない酷いことを言うのだけど、そこには人間としての温かみがあり、私は「はい、分かりました」と言ってまた雑巾をキチンと水洗いし、固く絞って、スタジオの床を今度こそちゃんと掃除した。
 完璧に掃除をし終えた。もうちっともペタペタしないしガリガリもしない。「終わりました終わりました」と報告に行くと、あややが満面の笑みで「お疲れ様お疲れ様」と言ってサッポロ黒ラベルを手渡すので「ありがとうありがとう」と言ってそれを受け取り、あややのキリン一番絞りと乾杯し、二人で「おつれかさまおつかれさまありがとうありがとう」と言い合った。缶ビールの苦さと金属っぽい嫌な臭いと、歯に染みる冷たさと、何かをやり終えて充実した気持ち、そして中身の入った缶と缶の鈍い乾杯に昔を思い出した。思い出の中で美貴ちゃんとあややはナカムツマジクじゃれあっていた。私は誰だか分からない女の子と練習をしていた。私はベースを弾いていて、その子はドラムを叩いていた。「私がさ、バスドラムを踏むじゃん、そしたらバスドラムがべこんってなるじゃん、そしたらさ、それにぴったり合わせてベースを弾いてよ」とその子は言った。私は言われたとおりにベースを弾いたのだけど「そうじゃないんだ、ちょっと遅い。べこんとなった時にはもう弾いてなきゃ」と言うので、もう一度やってみると「ちがうちがう、今度はちょっと早い。べこんとなった時にベースも一緒にべこんとならなけりゃ、ダメだよ」と言うので、私にはその違いがよく分からず、美貴ちゃんが横から、あややをその右腕に抱きかかえながら「ちょっと貸して」と言って私の手からベースを奪い取り「こうだよ」と言ってやってみせた。「そうそう、こういう感じ」と言ってドラムの子はにへらにへらと嬉しそうに笑った。あややは「みきたんかっこいい」と涎を垂らし、美貴ちゃんは「でしょ」と自惚れた。私は何をすればいいの?と尋ねると美貴ちゃんはギターを私の手に握らせて「よっすぃーにはギターの方がやっぱ合ってるよ」とすごくいい顔で笑った。私はその顔がまるでスターのようだなあと思った。