金曜日

 金曜日というのがもう随分と昔のような気がしています。14時間ほど前までは金曜日だったのですが、土曜日に足を踏み入れた途端、二度と取り戻せないあまりに遠く儚いキラメくようで燃えるような一瞬、だったような気がしました。金曜日の夜、フライデーナイトですね、それはあまりにも一週間の中で、遠いです。遠くて恋焦がれます。毎週のように金曜の夜に焦がれています。一種の恋のような、情熱的に燃える恋のような、と形容したいのですが、そのような恋が今だかつて身に降りかかったような覚えがとんとないので困ってしまいます。僕はレイアイというものを知りませんし、恋という字が何を意味するのかがよく分かりません。辞書で引いたら、もしかしたら答えが載っているのかもしれないなあ、もしかしたら「あなたの名前そこに書いておいたぞ」的なことがあったりして、例えば誰かかわいい女の子の辞書を、休憩時間などにそっと覗き見ると僕の名前が書いてあったりするのかもしれませんが、このデジタル時代に紙の辞書、しかも外国語ではなくて国語の辞書を座右の書として、素朴な語彙を常に引いているような女の子がいるとは到底思えませんし、仮にいたとしてもそいつはきっとかわいくないだろうと思うのでして、眼鏡少女というと聞こえはいいが、ひっつめ髪の、ちっとも手入れされていないただ自然と伸びている何かゴミみたいな糸状の繊維の束を頭に乗っけた、本の中に生きていて日常に生きていない人間、どうやらちんこがついていない、そういう女ではないか。
 しかしまったくもうどうしたら僕に対する熱烈な、恋の字の横に僕の名前がこっそりと書いてあるような、それは単語同士ただ単に横に並べて書いてあるだけで、しかし気持ちの上ではいかなる饒舌な文章にも勝るような気もし、だってよく考えてみたらいいのだけれども、辞書に赤ペンで線を引くことがあったとしても、書き込むということはなかなかしないだろうに、それなのにあまりにも強固な意志でもって、「恋」の横に僕の名前が書いてあったら、それはとんでもない話だと思うのですよ。君のことが好きだとか愛してるとか口に出したり、紙に書いたりしたらあまりにも饒舌過ぎて何にも伝わらないです。伝えた途端に伝わらなくなってしまう。テクストは読まれることを前提にしか書くことが出来ないくせに、読まれた端からゴミになる。それが悲しくて、金曜日の夜も過ぎてしまったら、もういかに恋慕憧憬しようとも取り返せず、昨日という金曜日はもうただのゴミで、次の金曜日を待たねばいけない、のだけれども、次の金曜日が来て、その時間を享受する端から全てゴミ化、その繰り返しで到底耐え切れない。それでついつい思い返し、その金曜日、ゴミになる前の金曜日の夜を僕はもう一度、この土曜日の真昼間に追体験しようとして、このような長文を書かざるを得ない、暴力的な衝動でもってこれをカタカタカタと打ち込んでいて、でも別に金曜日なんてどうだっていいんです。あれは、人が決めたものだから、そんなものはどうだっていいんです。ただまあ仕方なく金曜日、もうそれはもう、どうしょうもないから金曜日です。