小学校

 小4、ウォークマンが流行り、耳からイヤホンを垂らしているあの姿がカッコイイ、しかしウォークマンが欲しいなどと言いだせず、親父から携帯ラジオを貰って、外に遊びに行くときはいつもイヤホンで聴きたくも無いAM放送を聴いていて、人から「何聴いてるの?」と尋ねられるとちょっと困った。別に何も聴いてないし、聴きたくもない。ただ単にイヤホンを耳から垂らしていたかっただけで、同時期、塾に通い始めるなどし、それも別に受験がしたいからとかそういうのでなくて、同級生が塾に通っているのがカッコよく見え、塾のテキストというものがカッコよかったからそうしただけで、私はなんでも形から入る。受験生は夜遅くまで起きて勉強しながらラジオを聴くものだ、そういう偏見がどこから入手されたのかしらないがとりあえずそう思い込んでいて、母から安物のラジオを貰って、部屋で夜遅くまでそれを聞きながら、塾のカッコイイテキストで勉強している俺はカッコイイ、そういう心境で、母上やら姉が「夜食」というものを作ってくれるのも、これまた俺のカッコよさに拍車を掛けた。そうしていたら、姉からCDカセットコンポを賜り、それは完全なるお下がり、「CDが聴けないから」という理由で姉は新しいコンポを買っていた。だからCDが聴けず、しかしまあ、カセットテープは聴けるという代物。何しろコンポとかいうカッコいいものを俺は自分の部屋に持っているということが誇らしく、母から貰った安物のラジオはお返しして、コンポで相変わらずAMラジオを聴いていたら、姉がいいことを教えてくれた。「カセットテープにラジオで流れた曲を録音することができ、それを繰り返し聴くことができる」それはなんてカッコイイことだろうと思って、聴きたくも無い演歌やら歌謡曲のようなものを録音して、MCの声を極力カットするためにはどうしたら良いかなどということをしていたらすぐに飽きた。僕にはミニ四駆の肉抜きや、ハイパーヨーヨーのアラウンドザワールドや、ポケモンのレベル上げなどの方が性に合った。ミニ四駆の工具、皆タミヤ純正のカッコイイ奴を使っているのに、俺はディックなどに売っている、しかも親父が使っていた普通の工具で、かっこ悪い、それがちょっとイヤだった。人前ではその工具を使って改造とか、恥ずかしくてできなかった。ハイパーヨーヨーも、皆指が痛いのを避けるために、カッコイイ純正のテープなどを指に巻いていて、でも俺はバンソーコーとか、医療用のテーピング、ダサい、そこらへん、純正のカッコイイ奴を買い与えてくれない両親が憎らしかったのであるが、さておき姉は昔のカセットもくれた。それはバービーボーイズとかチェッカーズとか、いわゆるバンドブームの頃のカセットで、姉が殊更「いいよ」と言って薦めたのがTHE BOOMであって、星のラブレターやからたちの道など聴いて、それからようやく音楽が好きになった。
 また、丁度そのぐらいの時から、オリコンチャートを追うのがカッコイイみたいな風潮がクラスの中にあることに気付き、僕もそのカッコよさにあやかりたく思うので、一生懸命トキオ・スマップ・V6など聴き、丁度キンキキッズがガラスの少年でデビューして、ガラスの少年のメロディはなんてカッコイイんだと思ったし、今でも思ってる。雨に踊るバスストップ。バスストップの意味がバスの停留所だということが分かったのはそれからずーっと先のことだったけれども、横文字カッコイイ。KISSから始まるミステリーもカッコよかった。「KISS」を指差して、僕はまだその当時アルファベットが読めなかったので、姉に「これは何て読むの?」と尋ね、「キスだよ」と言われて、真っ赤になった。ウブだったのです。
 帰りの会、何かしら童謡や唱歌のような歌を1年生2年生の頃は合唱させられていたのだけれども、小4ぐらいの頃から「あなたたちで歌いたい歌を決めてもいいのよ」みたいな感じで、投票の挙句歌いたい歌を決める、ということをしていた気がするのだけれども、最初はまあ「アンパンマンのマーチ」とか「伝説のコンビニ」とかで割と平和な感じだったのだけれども、皆がオリコンなどで色気づき始めると、そのうちスマップのダイナマイトやらキンキのジェットコースターロマンスやらの曲になって行き、最終的にラルクの火葬や侵食やハニー、シャズナのすみれセプテンバーラブとか、それを小学生が束になって「バラバラに散らばる!はなびら!シズクはクレナイ!」などと合唱している様というのは今から考えると、あまりにも残酷な帰りの会であった。