つらつらとしたためる

 どうも気分が滅入ってしまってしょうがないので思い出に逃げ込みます。性の目覚めは「白鳥麗子でございます」で、哲也君のモトカノ、あの子の名前は何でしたっけ、ほら、黒髪のショートカット、清楚そうだけれども意外と大胆な発言をするあの子ですよ、ちょっと待っててね、調べるから、そうそう順子ちゃんです。wikipedia見てるとドラマ版では森口博子が演じたそうだけれども、えー、違うだろう、当時の森口博子がどうだったか全然覚えていないけれども、今演じるとしたら誰だろうな、黒髪ショートで一見清楚っぽい、七海ななですかね。七海ななサイコーだと思います。「七海ななが受験生をセックスで応援!」とかいうAVは名作ですよ。全国の高校生浪人生は絶対に見ておくべき古典だと思います。あのスタッフがローターを手渡して「オナニーしてください」言って、恥ずかしそうに「出ていってください、一人でできますから、見ちゃダメ」とスタッフの背中をかるーいタッチで押すあの女の子らしい感じ?見てない人は本当に見てください。僕はあれ以上かわいい女の子を知りません。
 それでまあ順子ちゃんがある時、フェラチオとオナニーの解説を実に流暢にするので、何々オナニーって何事よ、と当時小学校4年生の私としては思いまして、解説通りに、ちんこをいじくり回したら、足先から腰までが痺れる感じで、ジンジンとしたけれども、何も出ませんでした。精通前だったのです。それ以後、もはや日課のように、同級生のパンチラなどを思い出しながら自慰行為に励んでいたのですが、白い液体はいつ頃から出るようになったのか、というと記憶が無く、いつの間にか出ていて、別にそれに危機感も何も抱かず「そんなもんだろう、単純なんだどんなときも」シャ乱Qですね、そういうことを思いながらザーメンをズボンにこすり付けて処理していました。今から考えると汚いです。更に当時からズボンなんて3日ぐらい続けて履くので、ザーメンまみれのズボンを僕はいつもいつも履いていたのですね、小学校五年ぐらいだと思いますけど、まあ何も知らなかったとはいえ、ちょっとした罪悪感というんですか、それで女の子と遊んでいたりしたわけで、なんかそれは興奮しますね。オナニーした手で女の子と手が触れ合うとか、そういうのすらもはやバカバカしくあまりに自己陶酔的な悲しい所作だと思います。パリパリに乾いたザーメンズボンを俺はいつも履いていたのです。もう既にそこからして僕の人生というのは性欲にまみれ始めていたわけなのです。
 夕方に再放送でやっていたエヴァ、風呂上りの綾波、添い寝するアスカ、などに欲情するのも極々自然な成り行きで、エヴァからはそのような性的な想像力というものを学びました。今でもテレビ版エヴァを見るとむらむらとオナニーがしたくなります。今の新劇場版では、そんな気はピクリとしか起こりません。破のアスカは普通にパンツ一丁とかで、あんまりエロくないです。でも添い寝のシーンだけは相変わらずエロいと思います。僕もかわいくて捨て鉢な女の子にバカじゃないのとか言われながら、背中を向かい合わせて添い寝がしたいです。手を出そうと思えば出せるけど、心理的劣勢にあるので手が出せない状況にもだえ苦しみたいです。マゾなのかもしれません。
 そうした折、小学校六年ぐらいからモーニング娘。ASAYAN鈴木あみなどが出てきたと思うのですが、当時は女らんまなどで性欲を満たしていたので別にどうでも良かったです。ふたなりシーメールなどに対する劣情のそもそもの発端は多分女らんまのせいです。らんまには女装男も居ましたね。紅つばさとかいう。あと妙に忘れ難いのがパンスト太郎。んで、この男女の境が非常にあやふやなものに惹かれる理由は僕個人的なものではなくて、「オトコの娘」なんてジャンルが出来るジャパニーズはクレイジーだぜ!と言われる所以の大体の発端が、女らんまFF5のファリスと白鯨伝説のラッキーにあるような気がします。日本のアニメーションはすごいとしか言いようがありません。リング・らせんの貞子が両性具有というのも、当時結構興奮してオナニーしていた気がします。僕にとってリングらせんはホラー小説ではなくて官能小説です。
 話が飛び飛びでどうも要領を得ないのに我ながら腹が立つのですが、別にそんなに腹が立っているわけでもありません、割と気持ちいいなあと思っています。それで、何ですか、何の話をしていたのだっけ、ええとハロプロと娘。小説ですね。
 中学に入って割とモー娘。がアイドルとして確立してきた気配がありまして、小学生時代はつんく♂プロデュースの色物歌手みたいなもんでしかなく、抱いて抱いて抱いて!あーん!とか、大嫌い大嫌い大嫌い大好き!あーん!とか、バカバカしい、もうとにかく侮蔑の対象でしかなく、元来シャ乱Qファンであった姉も「モーニング娘。とかやめて欲しい、つんくん(研ナオコは何故かつんく♂のことをつんくんと呼んでいたのです、そして何故か姉もそれに倣っていたのです)はおかしくなった」と非常に差別的でとにかくモーニング娘。というのはダメなのだ、あれはゲレツな文化なのである、でもちょっとなっちはかわいいんじゃないかなあと思っていたのですが、鈴木あみの方が好きでした。元祖アヒル口。グラビア水着画像もありましたからね、鈴木あみは。丁度アイコラ全盛期なのもあり、そしてネットがダイヤルアップとはいえど開通、アイコラ画像を漁りました、鈴木あみアイコラをどれだけ収集したか分かりません。フロッピーディスクに保存しようとして、FDには画像が一枚しか入らないということに対して、とてつもない絶望を感じたりしていました。その時に酒井若菜市川由衣を知り、しばらくグラビアアイドルにハマったりもしました。葵みのり長瀬愛を知ったのもその頃で、そのオモイデ補正から葵みのり長瀬愛は今でも僕の中で伝説的なAV女優なのです。いくら「かわいいけど擬似ファックの葵みのり」とか「騎乗位が妙に上手いだけでちっともかわいくない長瀬愛」などと言われても、それは当然で、別にそれによってそのお二方の僕の中での伝説的地位が崩れることは絶対にないのです。多分あの頃、グラビアアイドルとAVの知識量が勉強に必要な脳の領域というのを犯していて、僕は歴史や地理などの暗記科目ができなかったのだと思います。
 ASAYANのふるさとvsビートゥギャザーの時なんかは確実に鈴木あみを応援していましたから、ふるさとが負けた時は狂喜のあまりオナニーしたのを覚えています。なっちがちょっとかわいそうかなとかは少し思いました。ビートゥギャザーの時の鈴木あみは衝撃的にかわいかったし、あのふとももが僕は好きで好きで、どうにかしてというか、一体どうしたらいいんだろう、よく分からないよ!僕は自分が何をどうしたらいいのか全く分からないよ!と思って、とりあえずオナニーをしていました。ビートゥギャザーがbe togetherという英語で、その意味が「さあ一緒に!」とかそういうものであることは当時は知りませんでしたが、今になって思うと、ちょっと色々象徴的だなあという気がします。