大戸屋にて

 まのちゃんがおっさんに説教されているのを見た。お前は歌がヘタだの、頑張りますだけじゃダメなんだよ、頑張る頑張るつってもさ、結果がでなきゃ意味ないの、わかる? 遊びじゃねえんだよ、と辛辣な言葉を投げかけられて、まのちゃんは唇を噛み締めながら、はい、はいと頷いており、その眼には今にもこぼれ落ちんほどの涙が溜まっていた。ぼくはああああいやな大人だよ、いたいけな少女に説教して、まるで自分が絶対的に正しいかのようにふるまうこういう大人はきらいだよ、と思いながらソースカツ丼と温そばのセットを頼んだ。まのちゃんの前にはロースとんかつが置いてあり、おっさんはコーヒーを飲んでいた。
 おっさんの説教はいつ終わると知れず続き、まのちゃんはやはり眼に涙をためながら、はい、はい、と頷いており、目の前のロースとんかつはどんどんと冷えていくばかり、おそらくごはんの表面などもはやパリパリのゴワゴワで、きっとまのちゃんはこのいやらしい説教のあと、冷め切ったロースカツとパリパリのごはんと冷えた味噌汁をみじめに啜ることになるのであろう、なんとかわいそうなんだろう、こんなおっさんは死ねばいいのに、今すぐくたばってしまえばいいのに、と思いながら僕はあたたかいそばを啜り、さして美味くもないがまずくもないソースカツ丼を、なんともいえない気まずさを感じつつかっこんでいたのだが、周囲の方々も同じ気持ちであったようで、みんなどことなくまずそうに飯を食っている。気持よさそうなのはまのちゃんに説教をしているおっさんばかり。
 ソースカツ丼を食い終えるころになって、未だ終わる兆しを見せない説教にいい加減腹が立ってきて、ぼくは颯爽と立ち上がり、おっさんの顔に水をぶっかけてやろうと思うが早いか、左手から圭ちゃん、右手から飯田さん、正面から裕ちゃんがドドドッとおっさんの前に走り寄り、一斉におっさんの顔に向けて水をぶっかけた。おっさんは大いに驚いた顔をして、なんだお前ら、なめてんのか、おれがその気になればお前らなんてあっちゅーまに干すことができるんだぞ、なめてんのか、と怒号けたたましく店内に響き、店の奥から包丁を持った店長が「他のお客様にご迷惑ですので」とおっさんの喉元にそれを突きつけ、レジ打ちのホールバイトがボールペンをおっさんの目元に当てながら「他のお客様にご迷惑ですので」と復唱し、おれは立ち上がって「なによりまのちゃんがかわいそうだよ!」と叫んだら、店内は水を打ったように静まり返り、え? なんなの? ここでみんな一斉にそうだそうだの大合唱でしょうに。普通ならそうでしょうに、と戸惑いを感じていたらば、店の奥から大きなケーキが運ばれて来てまのちゃんの目の前にそっと置かれた。そしてみんなで「ハッピーバースデイトゥーまのちゃん!」と大合唱した。まのちゃんは泣いていて、おっさんは嬉しそうに微笑んだ。圭ちゃんもニコニコしながら手を叩き、裕ちゃんは盛んに「おめでとさんおめでとさん」と叫び、飯田さんはビデオカメラにその様子を収めていた。
 ぼくはなんだか虚をつかれたようになって、さかんに鼻の頭に吹き出す汗を拭っていたのだけど、後ろから袖をくいくいと引っ張る人がいるので、一体だれだろうと振り返るとそれはまさしく田中れいなであって、れいなは「ほら、あなたも一緒に!」と僕に「ハッピーバースデイトゥーまのちゃん!」を強制した。やけになってほとんど叫ぶようにしてハッピバースデイの歌を歌い上げ、それが終わる頃には店には誰もおらず、ぼくは冷え切ったソースカツ丼の残りを食べて代金を払わず帰った。