広島について

 「熱しにくく冷めやすい」のが広島人の県民性らしく、何か一つのものごとをなかなか始めないし、始めたかと思えばすぐに飽きてしまう。これが集団になると更に目覚しく、一人が何かやりたいと思い、それを皆に確認を取って、どうですかこれをやりませんか、とお伺いを立てて、集団として合意され、じゃあやりましょうということなった暁にはもう数人が飽き始めている、というおそろしいことが起こる。そこで誰かが「飽きた」など言い出せば、周りの人間も一斉に飽きてしまうので、集団で形成された「やります」という合意だけが宙ぶらりんと主体を失って存在してしまうのであり、誰もやりたくないのに粛々とその集団の合意なるものに従わざる得ず、これが大変苦しい。が、そうでもないと何もやらないのがこれまた明白であるから、文句を垂れつつ、まあでもやらないとねえ、と変な諦めというか、物分りの良さというものもあって、そういうわけで、広島人は日々をなし崩し的にぼんやりと過ごしているのであります。