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 どのような検索ワードでこのブログへ飛んで来たのか、ということを僕はよく見ます。圧倒的に多いのが「まんこ」なんですよね。次点が「藤本美貴」とか、まあハロプロ関連のワードであり、ハロプロ関連のワードは思い当たるところがあるというか、自分が19の頃の一年間はほぼ毎日ののたんミキティれいなれいなれいなと書いていた覚えはある。しかし、おれはそんなにまんこまんこ書いた覚えはないというか、いやまあ実際書いているのだけれども、ちっともそんな気がしないというところが恐ろしいものでして、何が恐ろしいのかといえば別に何も恐ろしくはなく、ただ単におれがあほだったというそれだけである。あと「高樹マリアのアナル」がいつ見ても検索ワードの中で鮮やかに、むしろもう誇らしくそこに記されておりまして、おれが「高樹マリアのアナル」という文字列を書いたのは記憶を辿る限り一度しかない。どのような文脈で「高樹マリアのアナル」に言及したのかは皆目覚えていないが、確かに書いたことは覚えていて、しかしそんなことより気にかかるのは、もう高樹マリアが引退して幾年経つというのに、未だに「高樹マリアのアナル」で検索する人間が居るということであり、その人はおそらく男であろうことは想像に難くないが、一体どのような男なのだろうかとか考えるわけでして、きっとおれと同年代かやや上の年代の男性であろう。そして更に想像するのは、一体彼はどのような気持ちでそのワードをgoogleの検索窓に打ち込み、そしてどのような気持ちでこのブログを開いたのだろうか、ということであり、きっとその方は「我が思い出の高樹マリアのアナルが今なんとなく見たい」という気持ちで「高樹マリアのアナル」と検索窓に打ち込み、高樹マリアのアナル画像なり動画なりを探しているのだと思うのですね。それがこのブログを開いた時の気持ちと言ったら、もうそれは失望というか、ちょっとした怒りであろうと思うわけです。「おれは高樹マリアのアナルが見たいのであって、こんな妄想を読みたいわけではない」と怒り心頭であろうと思うのです。彼はその時点で「なんとなく高樹マリアちゃんのアナルがなんとなく見たいなあ」というふわふわした感傷を捨て、「なんとしてでも高樹マリアのアナルが見たいのである」という確固たる情熱へと身を燃やすことになるのであり、私のブログはつまり彼を「高樹マリアのアナル」へと掻き立てたわけだ。なかなかやるぜ。というわけで僕も「高樹マリアのアナル」を今から見ます。