思想

 正社員として働くためには何らかの思想が必要なのだった。もちろん建前として。その会社でなければならない理由や、その業界でなければならない理由が必要なのだった。しかもそれは積極的な理由である必要があった。「金融が嫌なので」と言ってメーカーを志望してはダメなのだった。何かしらメーカーに入りたいという積極的な理由が必要なのである。しかし「メーカーはゆるいから」というのもダメなのだった。これは先の他の業界が嫌なのでこの業界に、という理由に比べれば、この業界がいいです、というので文の形としては積極的ではあったが、その内容が「ゆるいから」では積極性が認められないのである。これこれこういうことをやりたいのでこの業界がいいです、と言わなければならないのだ。これがとてつもなくアホらしいことのように思えた。学生がその業界でやりたいことなど何か思いつくものか。特にやりたいことがないから、既存の会社に入るのである。これこれこういうことがやりたいという「強い思い」などがあるのであれば意地でも起業するのが道理であろう。特にやりたいことがないから、会社員になるのである。確実に建前にしかすぎない思想を構築するのがあまりに無駄なことに思えた。などと書いていて、受験勉強もそうだったではないか、と思った。今後一生使わぬであろう数学の問題の解き方を身につけ、日本の歴史を学び、入試を経て大学に受かったのだが、その内容自体が何か役立ったことがあったろうか。だが、受験勉強自体は割と楽しかった。クソだと思っていたが、楽しかった。着々と何かが身に着いている感じがした。成長の実感という奴だろうか。笑ってしまう。いくら就活をして、志望動機を作ることなどがこなれて来ても、そういう実感は無かった。ごまかし方が上手くなったな、という感じがした。しかしそれは成長の実感というより、堕落の実感だった。