泣く

 なんとなく眠れずにぼんやりしていたのだけど、今親が死んだら泣くかなあということを考えました。同居してた祖父が死んだ時は別に泣かなかった。高校生だったから捻くれてたのもあり、周りが泣いてるの見て憤りすら感じていました。歳なんだから死んで当たり前だろ、なぜ泣くのだ、泣いている自分に酔ってんだろ、忌まわしいわと若々しいことを思っていました。無感情な俺はクールだ、というあの気分です。まあそれはいいんですけど、そういう尖り具合もある程度抜け、感情に動かされるのも別に悪くないというかむしろ良いとすら思う現状にあっても、別に親が死んだぐらいじゃ泣かんだろうという気がした。例えば今急に電話がかかって来て「親父が死んだ」と聞かされても、「あ、そうなの」と思ってしまいかねない気がする。まあ糖尿だし、タバコやめねえし、酒もやめねえし、割と無茶する人だからなあ、どうせ酒飲みながら辛いツマミ食ってタバコパカパカ吸ってたんだろう、それで裸踊りとかした日には死んでもおかしくない、そりゃ死ぬわと、ごく普通に思う気がする。まあ実際そうなってみないと分かんないですけど、案外目の前が真っ暗になって取るものもとりあえず着の身着のまま家を飛び出して駅のホームで始発を待って焦れたりするのかもしれませんが、とりあえず今のところ電話を取って親父の死を知ったぐらいじゃあおれは泣かない気がする。葬式のために新幹線で四時間かけて実家に帰るのがめんどくせえなとすら思いかねない。実家を離れて暮らしていると死んだと言われたところでさっぱり実感が沸かない。じゃあとりあえず家に着いて親父の死に顔を見て納得しそこで泣くかというとそこでも別に泣かない気がする。納得はする。あの知らせは本当だったのだなあと思う。「きれいな顔してるだろ、死んでるんだぜこれで」とかいう台詞を思い出したりするかもしれない。で、多分きっと周りがめそめそしてるのを見て「やめろや辛気臭い」とか思うはずである。昔ほどのあからさまな嫌悪感ではないにせよ、やっぱり人は死ぬものなのだからこれだって別に当たり前の、尋常の出来事であって、まあそう泣かんでもええやないか、と思う気がする。そんでおれは結局そういう感情が薄い人間なのだ、とかいうことが言いたいわけではなく、割と涙もろい方の人間で、今年の箱根の早稲田だったっけ、山の神がいるとこ、中央か、まあなんでもいいのだけど、あれが「雪辱を果たす」とかそういうドキュメンタリータッチな映像を見せられてうるうるしましたし、甲子園で敗退した高校球児の悔し涙を見てうるうるしますし、震災関連の悲しいドラマとか聞いてもうるうるしますし、グレンラガンで泣くし、白鯨伝説でも泣くし、とらドラみたいなラブコメでも泣くし、君が望む永遠というエロゲをプレイしたところ自分が死にたいぐらい泣きましたし、こないだに至っては非常にどうでもよい30P足らずのエロ同人を読みながら泣きました。というわけで私はいつなんどきでも泣く準備はできているのですが、こと親の死とかいうその事実だけではとても泣けるものではない。それは小説に例えて言いますと冒頭の一行目に「父親が死んだ」の一文があって、はいこれで泣いてください、みたいな状況であって、知らねえよ、そんな事実だけ提示されて泣くわけねえだろ、という話で、親が死んだという事実を聞くことはきっとそういう感じで、「そうか」と思う他ない。それできっと姉あたりが色々話すわけですよ。どういう状況で死んで行ったか的な割と事実関係の列挙的なところから、お前が帰省するたびに一緒に酒を飲むのを楽しみにしていたとか、山岳部に入った孫と一緒にキャンプに行くのを楽しみにしていたとか、そういう物語的なものを語って聞かせられることで、ふと親父の声や顔つきが思い出され、それに付随した過去の出来事が思い出され、そこでようやく泣くのかもしれんなあ、ということを考えており、だからきっとぼくは親が死んだ物語に対して泣くのですが、親が死んだ事実そのものに対しては泣かないと思います。まあみんなそうか。いや、だからなんでこんなことを考え始めたのかというと、よくこうドラマとか映画なんかで女が死んで、その女の男が彼女の死体を腕に抱いて、胸に顔を埋めてワーッと泣いたりするけれども、あれを見る度に「ありえないなあ」と思って醒めてしまうので、なんでそれがありえないのか、醒めるのか、ということを考えていたら、その男がただひたすら機械的に女が死んだ事実に対して条件反射のように泣いているように見えるところ、物語ではなくて事実に対して感情を動かす人間というものが全く意味がわからんと思ったのでありまして、フィクションにおいて「泣く」という行為は、そのキャラクターが事実そのものではなくその事実が置かれてしかるべき文脈とか物語とかいうものに対して泣いているのだ、ということが解るに作られなくてはダメなのだなあと、そういうことを考えておりましたわけで、まあ別にどうでもいい話だ。