検索ワード

 私は検索ワードを見るのが趣味なのですけど、というとつまりこのブログがどのような言葉でもってgoogleなりyahooなりに認識されておるのか、ということが気になるからで、それに加えて若干エゴサーチでもないですけれど、それに似た心性と申しますか、もしかすると私を求めてこのブログに辿り着いた輩がいるかもしれん、それは嬉しいことだ、男であろうと女であろうと、私を求める人間がどこかにいるということはとてもすばらしいことだ、と思うわけでありまして、もし可能であるならば女にモテたいというのは男として当然のことであって、なにもやましいことはありませんから、それで私は毎日毎日オナニーを繰り返しながら、モテたいなあモテたいなあとやっとるわけですが、そうしますと天井裏から「やろうかあやろうかあ」と声がかかるわけですね。はた、と私は手を止めまして、天井を見上げるのですが、見知らぬ天井、なんてことはなく、よくよく見知った天井がそこにはありまして、夜毎「あそこらへんの木の節の具合が顔っぽい」とかやっておるわけなのですが、まあそういった具合でごく普通の、いたって平凡な、よくよく見知った天井でありまして、何事だったのであろうか、と思い、そもそも自分が何故天井を見上げているのかもやや忘れかけるのでございますが、そうしてぼんやりしている内にまた「やろうかあやろうかあ」と声がかかるのでございます。私はうすぼんやりと手塚治虫の「どろろ」なる漫画を思い出しまして、かの物語主人公である百鬼丸という少年が河原ですやすやとお休みになっている折、川上の方から小判の形をした妖怪が、手に持った鈴をチリンチリンと鳴らしながら「やろうかあやろうかあ」と申しながら下って参るのです。それを見たもう一人の主人公でありヒロインでもあるところのどろろがうっひゃーと仰天しぶるぶるぶると震えるわけですが、まあなんと申せばよろしいのでしょうか、なぜ「どろろ」の話などを思い出したのか忘れてしまったのですが、そう、「やろうかあやろうかあ」でございます。その台詞にふと「どろろ」のことを思い出したのでした。その「やろうかあやろうかあ」の声は私の空耳なのでございましょうが、一体なにを「やろうかあ」なのかが気にかかりまして、しかしまあ別にどうでもいいことだなあ、おれは今から希美まゆで抜こうと思うから邪魔立てだけはしてくれるな、おれのオナニーは、一人で、静かで、なんというか満たされた感じで、フィニッシュを迎えたいのである。というわけで私はズボンを脱ぎ去り、パンツからちんこを取り出し、相変わらず包茎だなと思うわけなのですが、そうこの包茎が私のコンプレックスであり、この包茎さえなければすぐにでもソープへ駆け込んで素人童貞にクラスチェンジする所存なのでありますが、素人童貞には素人童貞なりの苦悩があるものらしく、いっそ「単なる童貞であった方がよかった」とさえ言い放つ輩もいるのですから、まあ私はそういう御人を見かけると「非童貞の自慢だ、あさましい」と思うのですが、つまりだから私はとにかくセックスがしたく、まんこにちんこを突っ込んでかき乱れたさでいっぱいなのでありますが、そうこの包茎が私の全人生を貫くのであり、ソープに行かないのは金が無いからだと常に言い訳をしているのですが、まあ金の無さも一つでありますが、包茎だからソープにいかないのだ。それならばなぜ包茎手術に行かないのかというと、こっちの理由は金が無いから、ということになってくるのでございます。結局のところ金なのですが、じゃあたんまりと金があったら包茎手術へ行くのか、と問われると、そんなこともないかもしれない、というような気持ちでありまして、包茎手術に十万ちょい使うぐらいであればその金でもっと色々楽しいことができそうですし、包茎で死ぬわけでもなし、まあセックスができんぐらいのもので、セックスがなんぼのもんじゃ、と思うわけなのですが、ここで私はふと、もしかして包茎であることを言い訳に、おれはセックスを怖がっているだけなのではないか、包茎だからセックスできませんとか言って、そうやってセックスしない自分をなんとか合理化・正当化しようとしているだけなのではなかろうか、ということに気付くわけでございます。だってよく考えてみればセックスするチャンスというのはゴロゴロしており、あの時いっておけばセックスの一つや二つ簡単にできたかもしれんなどと思う局面だって、生きれていれば何かしらあるものです。しかしできなかった。なぜならば包茎だからである。まあなんかどうでもよくなってきましたが、包茎手術がしたいです。それからソープに行きます。天井から聞こえてくる「やろうかあやろうかあ」は嘘なのでどうでもいいです。なんか飽きた。おれは包茎なんだよ。疲れた。